隠岐國学習センター ホーム

隠岐國学習センター通信 Blog

カテゴリ:副長ブログ

コカ・コーラ【可口可楽】

みなさん

学んでますか。

大人は仕事をします。

みなさんは学んでください。

学んでください,というのは

お願いしているわけではありません。

オススメしているのです。

学ぶとよいことがあるよ,と

オススメしているのです。

いままで僕の人生で

学んで無駄になったことはありません。

ひとつとしてありません。

言い換えると将来無駄にならないことを

ひとは「学び」と呼ぶのかもしれません。

そう考えると音楽を聴くのも

きっと「学び」なのでしょう。

テレビを見るのも「学び」なのでしょう。

無駄にならなければ。

そこから何かを得ることができるのならば

それらはすべて学びなのです。

大人になると,すべてが学びと思うのです。

では逆に「無駄だったこと」とはなんだろう

と考えてみました。

机の穴に消しゴムのかすをつめていたこと。

無駄でした。

1回目はまだ何かしら発見があったかもしれません。

2回目以降は…無駄でした。

そんな気がします。

しかもその間に授業は完全に聞き逃しているのです。

みなさん

授業中に机の穴に消しゴムのかすをつめるのはやめましょう。

できるだけやめましょう。

それが将来の人生に無駄にならない,というひとは続けてもよいと思います。

継続は力なり

とも言いますし。

ひょっとすると「机の穴に消しゴムを誰が一番はやくつめることができるか」ワールドカップが開催されるとも限りません。

開催されなければ自分で開催すればよいでしょう。

そして自分で「世界一」と認定してもよいかもしれません。

僕は中学生のとき自分のことを

「鼻をかんだティッシュペーパーをゴミ箱に投げ入れるのが世界一うまい人」

と認定していた時期があります。

ところで僕の学校では

ごみばこ を 護美箱 と書いていました。

美しさを護る(まもる)と書いて ごみばこ。

当て字です。

当て字ですが,上手です。

なぜなら 音 も 意味 も通用するからです。

良人。

おっと と読みます。

良い人(よいひと),と書いて おっと と読む。

これは 意味 の当て字です。

足袋。

たび と読みます。

足の袋 と書いて たび と読む。

これも 意味 の当て字です。

独逸。

どいつ と読みます。

独(どく)に逸(いつ)と書いて どいつ と読む。

これは 音 の当て字です。

阿蘭陀。

おらんだ と読みます。

阿を「お」と読み,蘭(らん)に陀(だ)と書いて

おらんだ と読む。

これも 音 の当て字です。

場穴。

ばけつ と読みます。

これも 音 の当て字です。

多くの当て字は 音 か 意味 の

どちらかしかあてはまりません。しかし

護美箱(ごみばこ)。

とても上手だと思います。

音 も 意味 も通じるのです。

音 → ゴミバコ。

意味 → 美しさを護る箱。

どちらも通じるのです。

可口可楽。

コカコーラ と読みます。

中国では漢字しか使われません。

したがって コカコーラ は 可口可楽 と書くのです。

可口 は 口あたりがよい,美味しい という意味

可楽 は 面白い,楽しい という意味

そして 音 は コカコーラ。

音 も 意味 も合っています。

とても上手な当て字です。

というか中国のひとにとっては

当て字 ではなく 訳 というほうがよいかもしれません。

中国のひとは訳しているのです,漢字に。

とてもとても上手な訳です。

場穴(ばけつ)の英語は bucket です。

場穴 は上手な訳ですか。

なんとなく近い気はします。

でも 可口可楽 ほど上手でしょうか。

ちなみに 場穴 という当て字は

夏目漱石がよく使っています。

映画を見ていても上手な訳はあります。

An act of God. という英文に

それはできません という訳がついていました。

An act of God. は,そのまま訳すと

「神の所業です」という感じです,きっと。

神の所業

神にしかできない

つまり私にはできない

できません。という訳になったのだと思います。

もとの英語とはまったく異なるものになっています。

翻訳家と呼ばれるひとたちは

脚本家のセンスも持っているのですね。

英語だけできればよい,というものでもなさそうです。

感性を研ぎ澄ますために

日本語の物語もたくさん読むのでしょう。

そうでなくては上手な訳はできません。

Whose bucket is this?

−このバケツ(場穴),ドイツんだ(独逸んだ)。

It’s mine.

−おらんだ(阿蘭陀)。

みなさん

日本語の物語も読みましょう。

そうでなくては上手な訳はできません。

むじゅん【矛盾】

みなさん

学んでますか。

大人は仕事をします。

みなさんは学んでください。

先日,ターナーの絵を見ました。

イギリスの風景画です。

イギリスの空と海の絵です。

海は荒れています。

空は曇っています。

イギリスの曇天(どんてん)が描かれていました。

僕はイギリスの曇天が好きです。

イギリスは曇りが多いのです。

白黒はっきりしない天気が多いのです。

白黒はっきりしない天気が僕は好きです。

晴れたり雨が降ったり,曇ったり。

アンニュイな感じが好きです。

アンニュイとは 退屈 という意味です。

アンニュイ が好き,ということは

退屈が好き,ということになります。

好きなら退屈してないようにも思います。

矛盾しているように思えます。

矛盾,

難しい言葉です。

矛盾とは 論理のつじつまがあわない ことです。

どんな盾(たて)もつらぬく矛(ほこ)

どんな矛(ほこ)の攻撃も防ぐ盾(たて)

を売っているひとがいました。

どんな盾もつらぬく矛 と どんな矛も防ぐ盾

そのふたつをぶつけたらどうなるのか。

話のつじつまがあいません。

盾が防げば

どんな盾もつらぬく矛 が嘘になります。

矛がつらぬけば

どんな矛も防ぐ盾 が嘘になります。

話のつじつまがあいません。

これを 矛盾 というのです。

アンニュイな感じが好き

は矛盾です。

しかしこれは嘘ではないのです。

矛盾しているかもしれませんが

嘘ではないのです。

難しい感覚です。

人間は矛盾をかかえているものかもしれません。

好きなのに,嫌いと言ったり,

嬉しいのに,すねてみたり。

白黒はっきりしてほしいものです。

しかしそうもいかないみたいです。

人間は矛盾をかかえているのです。

閑話休題。

ターナーのかく曇天は

絵の具をキャンバスにかきなぐった感じです。

適当にかいているようにも見えます。

しかしそんなことはないのです。

本当は緻密に計算された構図と

ターナーの天賦の感性によって完成された絵です。

それは目の当たりにしないとわかりません。

本物は本当に見に行くとよいのです。

そこから感じるものは,どんなに言葉をつくしても

説明ができないものなのかもしれません。

実際に絵をかいてみるのもいいと思います。

するとターナーの偉大さがわかります。

ターナーと自分の位置の差がわかるのです。

ゴールを設定するのはよいことです。

自分の位置との差がよくわかります。

差がわかるからゴールまでの計画ができるのです。

ゴールなしで前へ進むのは難しいことです。

みなさん,ゴールを設定しましょう。

そして計画をたてましょう。

ゴールに着くように計画をたてましょう。

ゴールに着くのは最短距離でなくてもよいと思います。

ゴールまで最短で行く必要はありません。

ぐるぐる巡って到達するのもよいものです。

急がば回れ

とも言いますし。

むかし急いで回ったのは琵琶湖です。

琵琶湖には渡し船がありました。

向こう岸に渡る船です。

ところが天気が悪いとむしろ遅く着くのです。

早く向こう岸に着くには

歩いて回ったほうがよいのです。

だから急がば回れ,というのです。

急いでいるときこそ遠回り

これは矛盾していません。

琵琶湖は 琵琶 にカタチが似ています。

だから 琵琶湖 と名づけられました。

琵琶 と言えば 琵琶法師。

琵琶法師 が,たくさんいるとは

最近まで知りませんでした。

国語の授業を見学して知りました。

琵琶法師とは平家物語を伝えたひとです。

よく考えたら当たり前のことです。

インターネットもテレビもラジオもない時代。

通信が発達していない鎌倉時代。

ひとりで広められるわけありません。

しかし,なんとなく 琵琶法師 を

固有名詞と思い込んでいました。

よく考えてみたら当たり前のことです。

ひとりなわけありません。

たくさんの琵琶法師が伝えたのです。

赤い旗の平氏と白い旗の源氏の戦いを

たくさんの琵琶法師が伝えたのです。

琵琶を弾きながら語ったのです。

平家物語を歌ったのです。

ですから広く知れわたりました。

運動会や大晦日の歌番組で

いまでも赤白対抗しているのは

源平合戦のなごりです。

赤い旗の平氏と白い旗の源氏のなごりです。

赤白対抗するのは源平合戦です。

白黒対抗するのはオセロです。

オセロは日本人がつくったゲームです。

長谷川五郎氏がつくったゲームです。

牛乳瓶の蓋で試作版をつくったゲームです。

ですからオセロのコマは牛乳瓶の蓋と

ほとんど同じ大きさです。

ちなみにオセロと名づけたのは

長谷川五郎のお父さんです。

長谷川四郎という方です。

英文学者だったのでオセロと名づけたそうです。

オセロの話になったので

白黒話でまとめたいところです。

白黒はっきりしない曇天の話が

どうも前フリのようですし。

いろいろ遠回りして,やっと白黒話にたどり着きました。

ぐるぐる回ってたどり着きました。

急がば回れともいいますし。

しかし白黒話でどうにもまとまりがつきません。

回ったわりにはまとまりません。

ですから白黒話で終わるのをやめておきます。

どんてん返し,もとい どんでん返し。

せんやいちやものがたり【千夜一夜物語】

みなさん

学んでますか。

大人は仕事をします。

みなさんは学んでください。

学ぶ方法はひとそれぞれ。

自分に最適な方法で学びましょう。

ただし 一夜漬け はあまりオススメできません。

一夜で覚えたことは

一夜で忘れてしまいます。

それを 学び とは言いません。

だから 一夜学び とは言いません。

一夜漬け と呼ばれるのです。

なんだか 漬物 の名前のようです。

千夜一夜物語,通称アラビアン・ナイト。

不思議な名前です。

なんでしょうか,千夜一夜(せんやいちや)。

本当は 千一夜 のことのようです。

原書を直訳すると 千夜と一夜 になるのですが

本当は 千一夜 のことのようです。

アルフ・ライラ・ワ・ライラ。

原書のタイトルです。

アルフ が 「千」

ライラ が 「夜」

ワ が 「と(and)」

ライラ が 「夜」

ですから 千夜と(一)夜 となります。

しかし,これは 千一夜 のことなのです。

千 と 一夜

と書けばよいものの

千夜 と 一夜

と書くから 千夜一夜 と訳されてしまいました。

数の数え方は国それぞれ。

不思議な数え方があるものです。

フランスでは 60 までしか単語がありません。

60 という単語はあるのですが

70 という単語はないのです。

70は 「60と10」 と表現します。

soixante-dix(ソワサント・ディス)

soixante が 60

dix が 10

合わせて 70 です。

では 80 はどうするのか。

「60と20」

ではないのです。

80は 「4つの20」 と表わすのです。

quatre-vingts(キャトル・ヴァン)

quatre が 4

vingt が 20

99 は,なんと 「4つの20と10と9」 です。

quatre-vingts-dix-neuf(キャトル・ヴァン・ディス・ヌフ)

どないなっとんねん。

それにくらべて日本語の

九十九

楽チンですね。

英語の

ninety-nine(ナインティ・ナイン)

簡単ですね。

「英語は難しい」なんて

あわてることなさそうです。

フランス語の

quatre-vingts-dix-neuf(キャトル・ヴァン・ディス・ヌフ)

どないなっとんねん。

quatre が 4 で,vingt が 20

dix が 10 で,neuf が 9

全部たすと…43んんん。

違います。

4 と 20 は,かけるのです。

4×20+10+9=99

あわてふためきイライラ

てんやわんや です。

アルフ・ライラ・ワ・ライラ

千夜一夜 です。

きんときまめ【金時豆】

みなさん

学んでますか。

大人は仕事をします。

みなさんは学んでください。

修学旅行はどうでしたか。

学びましたか。

楽しみましたか。

修学旅行は楽しいです。

楽しく学べるチャンスです。

僕は以前,金閣寺に行きました。

ひとり修学旅行です。

小説を読もうと思ったからです。

「金閣寺」という小説です。

三島由紀夫の小説です。

この小説を読もうと思ったから

金閣寺に行きました。

本物を見てから,小説を読んだほうが

情感が湧いていくると思ったのです。

その名の如く黄金のお寺でした。

金色だから金閣寺。

とてもわかりやすいです。

桃から生まれた桃太郎。

とてもわかりやすいです。

金から生まれた金太郎,

は間違いです。

金色だから金太郎,

も間違いです。

金太郎には,いろんな説がありますが

一説によると 坂田金時 の幼名です。

金時は源頼光の家来でした。

金時は酒呑童子を退治しました。

金時の肌は赤い褐色でした。

だから赤い褐色の豆を

金時豆と言うようになりました。

坂田金時は 金時豆 の由来になりました。

ところで坂田金時の息子の名は

坂田金平というのです。

金平 は きんぴら と読むのです。

つまり きんぴらごぼう の由来です。

親が豆で,子がごぼう。

美味しそうな名前の親子です。

金時(きんとき)と金平(きんぴら)。

二人とも坂田一族です。

では金団(きんとん)はどうなのか。

金団は坂田一族ではありません。

金団は栗や芋でつくります。

その色が金色っぽいです。

だから 「金」団 です。

金団は栗や芋をふかして固めます。

団はあつまりやかたまりを意味します。

だから 金「団」 です。

坂田金団(きんとん)という人が,いたわけではありません。

そんなに きんとん拍子 には行きません。

あんばい【塩梅】

みなさん

学んでますか。

大人は仕事をします。

みなさんは学んでください。

大人は会議もします。

重要な会議もあります。

わりと軽めの会議もあります。

重要な会議と軽めの会議が

重なってしまうこともあるのです。

そういうとき大人は 優先度 をつけて

どちらの会議に出席するのか決めるのです。

より大切な会議に出るのです。

より重要な会議に出るのです。

のっぴきならない会議に出るのです。

のっぴきならない とは

重要 という意味です。

のくこと も ひくこと も出来ない,

つまり さけることが出来ない ほど重要です。

サラリーマンには のくこと も ひくこと も

許されないことがあるようです。

給料(サラリー)をもらっているので

仕方がありません。

のっぴきならない とは

相当 重要 という意味です。

のくこと も ひくこと も出来ないのです。

ひくこと をあらわす言葉で

しおどき という言葉があります。

「このへんが しおどき だ。」

というと,なんだか

「もう やめるべき だ。」

という風に聞こえます。

実はこれは正しくありません。

しおどき とは ひくとき だけではありません。

しおどき

とは

ものごとをするのにちょうどよいとき

という意味です。

つまり チャンス という意味です。

いつも やめるとき とは限らないのです。

ちょうどよいとき が しおどき なのです。

ちょうどよいこと をあらわす言葉で

あんばい という言葉があります。

あんばい は 塩梅 と書きます。

むかし 塩 と 梅酢 を合わせる

調味料がありました。

その ちょうどよい様子 を表す言葉が

塩梅(あんばい)

です。

だから ちょうどよいこと を いい塩梅

と言うのです。

塩はむかしから大切な栄養源だったのです。

塩のおかげで食べ物を保存できたりします。

サラミ は ひき肉を塩と腸詰したものです。

塩のおかげで長期保管ができます。

塩は味もよくします。

サラダ など生野菜だけでは味気ないものには

塩をかけて味をよくするのです。

ところで 塩 は そると(salt) です。

ですから 塩 に関連するものは

sal- が,つく用語が多いのです。

サラミ は salmi と書きます。

サラダ は salad と書きます。

サラリー は salary と書きます。

古代ローマでは 塩 が貴重だったのです。

だから給料の代わりに 塩 をわたしていたのです。

だから 給料をもらう人 を

サラリーマン というのです。

のっぴきならない状況 を

さらり と,かわすひとを

さらりーマン というのです。

かずのこ【数の子】

みなさん

学んでますか。

大人は仕事をします。

みなさんは学んでください。

大人は仕事でパソコンを使います。

みなさんもパソコンを使いますか。

「学習で」パソコンを使ったことはあっても

「仕事で」使ったことはないでしょう。

大人はエクセルをつかって集計します。

ワードをつかって報告書をつくります。

パワーポイントをつかってプレゼンテーションをつくります。

僕が以前つとめていた会社では

パワーポイントをつかって企画書をつくります。

「パワポで企画書つくるんだぁ」

という驚きが共有出来ると大人です。

閑話休題。

大人は仕事でパソコンを使います。

パソコンとは パーソナルコンピューター の略です。

コンピューターは2進数で計算をします。

2進数というのは0と1だけ使って表す数です。

0,1,10,11,100,101,110,111 …

と続きます。

2進数  →  10進数

0    →  0

1    →  1

10   →  2

11   →  3

100  →  4

101  →  5

110  →  6

111  →  7

にそれぞれ対応しています。

普段,僕らがつかっているのは

10進数

です。

10進数では 100−1=99 ですが,

2進数では 100−1=11 となるのです。

2進数の100 は 10進数の4 です。

2進数の1 は 10進数でも1 です。

だから引き算の答えは 3 となります。

これを2進数で表すと 11 です。

つまり 100−1=11 となるのです。

なんだか難しくなってきました。

100−1=白

というのもあります…(百)−(一)=白です。

百という漢字の横棒(つまり一)を取ると 白 という漢字になるからです。

だから99歳を祝うことを 白寿(はくじゅ) と呼ぶのです。

さらに90歳を祝うことを 卆寿(そつじゅ) といいます。

卆寿,読んで字の如く 90歳 を祝うものです。

読んで字の如く…わかるでしょうか。

卆ですよ,卆。

祖母の米寿(べいじゅ)は京都の旅館で祝いました。

「米」寿は何歳のお祝いかわかるでしょうか。

米 ですよ,米。

米寿は88歳のお祝いです。

「米」という字を分解してください。

八 十 八 が見えませんか。見えませんか。

見えませんね,なかなか。

祖母の米寿のお祝いは,親戚一同集まって

京都の旅館でやりました。

京都は にしんそば が名物です。

しかし京都で にしん はあまり捕れません。

でも京都は にしんそば が名物です。

これは江戸時代にあった北前船が

北海道から京都までにしんを運搬していたからです。

京都でにしんはあまり捕れません。

にしんがとれないのに にしんそば が名物になる。

こういうことが世の中にはあるのです。

名物になるにはそれなりの理由があるのです。

以前,仕事で南会津にいきました。

南会津の蕎麦は美味しいです。

南会津で蕎麦が名物になっているのには

やはりそれなりの理由があります。

日照時間が少ないためお米があまり採れないからです。

お米がとれないので蕎麦を作ったのです。

名物になるにはそれなりに理由があるのです。

ちなみに にしん の卵(子ども)を 数の子 と呼びます。

たら の卵(子ども)は たらこ です。わかりやすい。

とびうお の卵(子ども)は とびこ です。わかりやすい。

なぜ にしん の子どもは 数の子 なのでしょう。

それは にしん のことを カドイワシ と呼ぶからです。

カドイワシ が訛って カド → カズ となったのです。

つまり にしん が カズ なのです。

にしん=数 です。

ニシン・数 です。

2進数 です。

コンピューターは2進数で計算するのです。

えっしゃー【エッシャー】

みなさん

学んでますか。

大人は仕事をします。

みなさんは学んでください。

最近,

「仕事はスパイラル(らせん)だな」

と感じます。

設計して,開発して,評価して

その評価を受けて,また開発して。

そうしてよいものになっていくのです。

きっと学習も同じなのでしょう。

学習して,問題解いて,テストうけて

そのテスト結果を受けて,また学習するのです。

そう考えるとみなさんが

いま学校でしていることは

大人になったときの仕事の練習

なのかもしれません。

しかし単に繰り返しているのではありません。

同じところを回っているようで

螺旋(らせん)階段のように上っているのです。

それを成長と呼ぶのでしょう。

螺旋(らせん)階段だから

同じところを回ってもよいのです。

それでも上がっていくのです。

エッシャーというひとがいます。

エッシャーが描く絵はとても不思議です。

「だまし絵」と呼ばれています。

エッシャーは だます つもりはないと思います。

不思議な絵をかいているだけです。

だます つもりはありません。

無限に水が流れ続ける絵。

無限に上り続ける階段の絵。

無限に上り続ける階段の絵には

兵士がえがかれています。

兵士はとてもつらそうです。

この階段は螺旋(らせん)になっていません。

階段を上っているのに,上に上がらないのです。

それではつらいのは当たり前です。

上に上がらないのはつらいです。

みなさんは螺旋(らせん)階段を上ります。

螺旋(らせん)階段は上に上がります。

上に上がるからつらいことではありません。

学びはつらいことではありません。

ここでみなさんをだまそうと思います。

問題。

あるひとが地上から6階まで階段を上ります。

3階まで上るのに30秒かかりました。

6階まで上るのに何秒かかりますか。

考えてみてください。

考えましたか。

60秒。

では,ありません。

なぜなら 地上から3階まで には階段は2つです。

地上から2階に上がる階段が1つ。

2階から3階に上がる階段が1つ。

合わせて2つです。

ところが 地上から6階まで には階段は5つです。

地上から2階に上がる階段が1つ。

2階から3階に上がる階段が1つ。

3階から4階に上がる階段が1つ。

4階から5階に上がる階段が1つ。

5階から6階に上がる階段が1つ。

合わせて5つです。

このひとは3階まで上がるのに30秒かかってます。

つまり階段を2つ上るのに30秒かかってます。

階段を1つ上るのに15秒です。

階段を5つ上るのには75秒かかるのです。

75秒が正解です。

60秒はあやまった答えです。

正解ではありません。誤解です。

60秒では誤解(ごかい)です。

60秒では階段を4つしか上れません。

つまり5階にしか行けません。

60秒では5階(ごかい)です。

うまくまとまりました。

ヨッシャー。

おうどう【王道】

みなさん

学んでますか。

大人は仕事をします。

みなさんは学んでください。

学問に王道なし。

という言葉があります。

これはアリストテレスの言葉です。

アレクサンドロス王の家庭教師になったとき,

アレクサンドロス王に聞かれたのです。

学問を簡単に学ぶ方法はないのか,と。

そのときアリストテレスは答えました。

「学問に王道なし。」

王道とは 近道 のことです。

学ぶのに簡単な道はない,ということです。

この場合,王道とは 近道 のことです。

地道に頑張るしかないのです。

プトレマイオスという人も,

家庭教師のユークリッドに聞きました。

「幾何学を学ぶのに簡単な方法なないのか」と。

ユークリッドは言いました。

「幾何学に王道なし。」

誰しも一度は考えるのですね。

簡単に学ぶ方法はないのか,と。

しかし答えは常に 王道なし。

近道はないのです。

ユークリッドは幾何学の祖と呼ばれている人です。

ではプトレマイオスとは誰でしょう。

天動説を唱えたプトレマイオスではありません。

このプトレマイオスは

プトレマイオス1世です。

プトレマイオス1世は古代エジプトの王様です。

プトレマイオス1世は紀元前の王様です。

王道 という言葉には別の意味もあります。

それは儒学における 王道 です。

儒学における 王道 は,

近道という意味ではありません。

儒学における 王道 は,

徳によって国を治める

という意味です。

王道の反対の 覇道 は,

武力によって国を治める

という意味です。

プトレマイオス1世は,

古代エジプトの王様です。

プトレマイオス1世は,

古代エジプトをうまく治めたといいます。

そのためプトレマイオス1世は,

救済者 とも呼ばれます。

プトレマイオス1世は,

幾何学で王道は見つけられませんでした。

しかしプトレマイオス1世の,

国を治める方法は王道だったようですね。

つまりプトレマイオスは,

エジプトで,まぁいい王っス

ぇじ プトでーマイィオウッス

プトレーマイオウス

プトレマイオス。

王様,万歳。

1 2

PageTop

隠岐國学習センターへのお問い合わせ Contact

隠岐國学習センターへは
下記のお電話番号かお問い合わせフォームから
お問い合わせください。