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2019年10月の記事

ピザ窯づくり奮闘記⑤

ピザ窯づくり第5弾。長いピザ窯づくりも前回で終了し、残すは実際にピザを焼いてみるのみ。今回は、ピザ窯づくり奮闘記最終回として、ピザ窯で初めてピザを焼いた様子と、ピザ窯の活躍した決起会の様子をお届けします。

 

 ーお店で食べるようなピザは焼けるのか?ー

 完成したピザ窯に、薪をくべ、火をつけます。下から熱せられた空気が通気口を抜け、ドーム内に充満します。次第とアーチ部分は黒ずみはじめ、ドームの耐火セメントも温まっていきます。調べた情報をもとに、ピザが程よく焼ける温度を調整していきます。ドーム内に手を入れられないほど熱くし、その状態をピザを焼く間維持し続けるのだとか。窯が十分に温まり、ピザを入れる時が来ました。 

 

 ピザ窯を最高の状態にする間、ピザの生地づくりが並行して行われました。

 

 前日までにこねて寝かせた生地を、焼く直前で伸ばし丸く広げ、その上に具材を乗せていきます。インターンが中心となり、生地にちょうどいい割合を配合し、こねていきます。本番は決起会の時のピザづくり。今回のピザづくりはそのための練習であり、おいしいピザをつくるための実験です。生地の柔らかさや、具材の量など、焼きながら試していきます。

 

  

 こちらが初めて焼きあがったピザです。窯で焼いたピザだけあって十分おいしいのですが、まだおいしく焼ける余地があります。火加減、生地のどちらも改善に向け、真剣に味見をします。ピザづくりメンバーで出した結論は、火加減はもっと強く、そして生地は薄く具材も薄く広げて乗せるとおいしく焼けるということでした。トライ&エラーを繰り返しながら、おいしくピザが焼ける技術と、同時にピザづくりの自信を向上させました。

 やっと一息つけます。決起会までになんとか一連の計画が無事に終わりました。

 

 ー夏の終わりと決起会ー

 キンニャモニャ祭が終わり、隠岐の夏がもう終わろうとする8月の下旬。ピザ窯づくりをするきっかけとなった「決起会」がついに訪れました。3年生にとっては切り替えの日です。この1日、この数時間はすべてを忘れて楽しい時間を過ごしてほしい。いつもの塾と違う一面が決起会にあれば、そこには目新しさや面白さが生まれ、特別な日として記憶されるのではないか、そうなればと思い、ピザ窯づくりを必死にやっていました。

 始まった決起会。ピザ作りを生徒と一緒に行います。生徒は用意した具材を好きなようにカスタマイズして、思い思いのピザをつくります。ただピザをつくるだけなのに、個性がそのピザに現れます。見た目を重視したピザ、生地の厚さにこだわったピザ、チーズたっぷりのピザ、乗せられるだけ具材を盛ったピザ、など他にもいろいろあり、面白い発見の連続で会話が盛り上がります。

 出来上がったピザはピザピールに乗せられ窯に運ばれます。十分に熱せられた窯に、さっとピザを移し1分ごとにピザを回転させ、全面が焼けるようにします。3分経つと全面がおいしく焼きあがるので、窯から取り出し生徒たちの待つ部屋へ運びます。

 焼きあがったピザは、生徒の手によって切り分けられ、友達とシェアしながら食べます。

 決起会の時間はあっという間に過ぎ去り、最後はセンター長の豊田さんから会を閉めるあいさつとなりました。楽しいひと時を楽しいだけで終わらせることなく、これから受験までの何か原動力となればと考えながら、豊田さんの話を私は聞いていました。最後は大きな円をつくり、みんなで「ふるさと」を歌います。

 決起会は無事に終わり、今までの決起会と異なるアットホームな雰囲気のある決起会が開催できました。

 

 ー4か月をふりかえってー

 

 5月から始まったピザ窯づくりプロジェクトですが、準備期間を数えると約4か月。今年の夏をピザ窯づくりに捧げたと言っても過言ではありません。お前は塾にいて何をやっているんだと思われるかもしれませんが、私がこのピザ窯をつくろうと決心した理由は、このピザ窯づくりが生徒の「学び」につながると確信し、その「学び」の可能性を探るためでした。ピザ窯をつくることが目的ではなく、「学び」の可能性を探るひとつ手段としてピザ窯づくりがありました。なぜピザ窯だったのか。それは、決起会の存在であり、学習センターに存在しなかったモノがピザ窯であったからです。

 

 ピザ窯はできましたが、私にはまだやりたいことがあります。それはピザ窯に屋根をつくることです。今回のピザ窯づくりは、生徒がつくる過程に参加する機会が少なかったのが反省点であります。夏休みであったことが要因でありました。次の屋根づくりは、生徒に開き、ピザ窯をつくった時のノウハウを活かし、設計から一緒にやれたらと構想しています。

 

 ピザ窯づくり奮闘記はこれで終わりますが、これからもピザ窯を中心に新たな取り組みを進めていくつもりです。引き続き温かく見守っていただけると幸いです。

 

岩本悠さん×豊田庄吾センター長対談

隠岐國学習センターでは5年後の学習センターのあり方、学びの姿を考える「学習センター3.0」プロジェクトを立ち上げました。

理想の学びを考えていくプロセスを開いて、学習センターに関わる皆さんと一緒にそれらを考えていきたい。そしてそれを映像の形にしてアウトプット(表現)したいと思っています。今回、学習センター3.0プロジェクトを考えていく材料として、魅力化プロジェクトの立ち上げに関わった島根県教育魅力化特命官の岩本悠さんと、隠岐國学習センターのセンター長豊田が対談を行いました。

 

豊田:
学習センターの未来を考えていく際に、学習センターの歴史を大切にしながら未来を創造していきたいなと思っている。あらためて学習センター立ち上げの時の意図や、ねらいなど、あのとき悠君が、何を考えていたのか聞きたい。

岩本:
まずあったのは、新しい学びの場を作っていくということ。ある種の実験場みたいな新しい学びが、学校現場のど真ん中では生まれにくいというか、学校という仕組みの中ではやりにくいということがあって、その脇で作っていくことを考えた。まったく違う新しいものだけでなく、学校と相乗効果を発揮するとか、ともに学びを補完しあうみたいな、そういう関係性の中での新しい学びをつくるということがひとつ中心にあった。

その時に考えていた新しい学びって何だったのかというと、ひとつは今でいう個別最適化。本当に一人ひとりに合った学びを実現していく。一斉授業とか、決まっている何十人かでやらなければいけないところの対極として、一人ひとりが目指したいものを、一人ひとりが得意な学習のスタイルの中で、自ら学んでいける場を作りたいということはあった。

豊田:
以前の資料を見ていると、そのころから学習の個別化とか個別最適化の話をしていたし、学びのあり方の転換みたいなことを言っていたなと思った。これだけ学力差が大きいから、先生が学びをつくるのではなく、生徒自身で学びを作っていく感じになるとよいという思想。一斉授業じゃなくてというのは言葉にして言っていたし、個別化だっていう話もしていた。裏側には学力観、学びのあり方の転換みたいな目的もあったんじゃないかなと思う。

岩本:
それでいくと最初に学習センターのスタッフってどういう人なの?と考えていた時に、「学びのコーディネーター」「学びのコンシェルジュ」という言葉があって、その人が教える人でなくていいよねと。教えるコンテンツや教材はゴロゴロあるが、生徒自身が自分に最適の学び方がすぐわかるかというとそうでない中で、対話しながらその中の選択肢みたいなものを提供したり、つないだりしながら学びをつくっていく存在。学びのプロセスをコーチしたり、モチベートしたりしながらPDCAを回していって、教えるというよりは学びをつないでいく、伴走していくスタンスだよねみたいなことは話していた。

豊田:
それが出てきた背景ってなんだったんだろうね?

岩本:
まぁ、やっぱりその、教師がティーチングしていくというよさに対して、集団の学習だけで補いきれない、こぼれ落ちていくものを学習センターが補完しながら相乗効果につなげていくイメージ。学校が公教育としてすべての生徒に学んでもらいたい、身につけてもらいたいものを基盤としてやるのであれば、学習センターはもっと(深く学びたい、先に)行きたいという子どもたちに伴走して引き上げられるか、学校のレベルに至らない子がいるときにどう一人ひとりと寄り添えるかという学校と学習センターの関係性をイメージしていた。

豊田:
ふきこぼれ的な子どもをちゃんとケアするところと、落ちこぼれもケアしていくという話はしていた。学校の図書館の中にコンシェルジュがいて、生徒が自分だけでは学びをつくれないのを、この教材あるよとか、自分で学びを作っていくということに対してアドバイスしていく思想。そこで何ができるっていう中から生まれたのが「夢ゼミ」の元となる授業で、最初は社会人になって本当に必要な力を身につけるみたいな発想で「学習意欲向上授業」っていう名前だった。それをもうちょっと体系化していこうという中で、未来を変えた島の学校の中にもあるように、PBL的にというか探求的にというかゼミ的にやっていくということをやりだした。

岩本:
そうですね。夢ゼミが立ち上がった時にあった議論のひとつは、知に偏ってないか、知識や情報みたいなものに偏重しているんじゃないかということ。ネットで調べてとか、この本読むとかっていうのは素晴らしいし、大事なことだと思うけれども、なんかそれだけだと都会と変わらないよねみたいな。なんで島前でやるの?じゃないけど、抽象論で世界の貧困がどうだとかいう前に、この地域の中に子どもの貧困だってあるよねみたいな、抽象と具象を両方行き来できるよさっていうのがこの島前というフィールドにあるよねと。なんかこの知的の知という部分と地域の地というか、リアルと情報みたいなものを両方もっと活かしたいようねという議論はあったなと思う。

豊田:
個人的には、社会で活躍するとか地域の担い手になるとかいうことを考えたときに、言葉は後づけだけど、もっとリアルにつながりながら学ぶとか、リアルな課題に対してリアルに関わるっていう、人とつながりながらとか、関わりながらとか、そういう学びが島前ならではというか、島前に合ってるじゃないかなというのは最初に話してたよね。
で、だんだんそれを、高2の秋から受験に向かうんじゃなく、1年生の時から段階的に学んでいくという感じで夢ゼミを3つに分けたりとかしていったんだけどね。

豊田:
そういう感じで立ち上げ始めたんだけど、立ち上がって初期を知っている人として、学習センターの価値はどう見えていた?

岩本:
夢ゼミのそれぞれに引き上げていくというか引きあがっていく感じは、今の学校ではできないなと思っていた。「なんで?どうして?」みたいな問いがそれぞれに自分ごととして来るというか、自分が探究したいことを探究して、それのフィードバックを受けたり、相互にフィードバックしあうみたいな、ある種『知的格闘技』みたいなものは価値があったし、凄いなと思ってましたよね。

豊田:
逆に初期のころ課題だなと思ったことは?

岩本:
学習の個別化みたいなところが、当時は少人数指導のような感じに見えた。学校よりは規模が小さいけれども、ティーチングの中で教わって受験に向かうみたいなもので、一人ひとりが学びを選んでつくっていくという個別には至っていない。最初描いた理想って口で言うほど簡単じゃないなと。その時の生徒も、そういう学び方よりティーチングでやった方が目の前の受験に関しては多分早いみたいな。慣れてない学び方を探究するほど受験が迫ってくると余裕がない。残り1年半でやるには最速で上げるやり方みたいな感じになって。その時の判断としてはそうだったとも思うけど。

豊田:
そうだよね。俺もあの時やったことはちゃんと肯定したいなと思っていて、こうやった方が絶対結果が出るじゃないみたいなところと、学校と一緒にやるっていうところの狭間で悩んだりしていた。
例えばだけど個別化も、高3の一人ひとりにカリキュラムはつくったりしていたけど、ベースの思想とかあり方がやっぱり結果を出す、そこを管理コントロールするのが大人側だっていうところがあったんじゃないかなと思う。それが多分年月を経て自立学習という名前になって、今はより高校生が、学習のPDCAサイクルを自分で回すっていくことをベースした形にはなってきている。
今は世の中的にもEdtechとかテクノロジーを使った学習の個別化みたいな話になっているけど、当時は大人の知見だとか、ノウハウ経験から学ぶという考え方だったから、そういう意味では世の中的にも(テクノロジーの進化によって)個別化ができやすくなっているのかなとは思う。

豊田:
話が飛ぶけど、未来のことを考えたときに、これからの学びってこういうキーワード、こういうエッセンスが大事なんじゃないかという話と、特に初期の頃から学習センターを知っている人として、これを期待するみたいなものって何かあるのかな。

岩本:
ひとつは、新しい学びの場をつくる学びのラボということ。やれるツールが10年前に比べて断然増えてきているので。(さらに具体的に言うと)学びの個別化だとか、自立学習という方向かなと。一方で、個別でテクノロジーを使ってやるんだったら、全国どこでもできるよねみたいな。それはそれで大事なんだけど、多様な人とともにみたいな、なんかそういう部分、地域の人となのか、中学生となのか、いや大学生となのか、別に外国人もいてもいいかもしれないしみたいな、リアルな場とか共にみたいなところもより進化があったら面白いかなみたいな気がしますね。

豊田:
悠くんが今まで大事にしてきて変えたくないものと、これから変えたいものではどんなものがある?

岩本:
学習センターに限らず、島前の魅力化で大切だなと思って、自分は引き継いできた、引き継ぎたいと思ったものって、やっぱりその「一人ひとり」っていうのと、「地域とともに」ということ。この二つは結構大切じゃないかと。理念として、それがなくなってしまうっていうのは寂しいとは思っています。で、なんだろうな、今後新しくっていうのは、現状の課題は見えてないからあれだけれども、なんか感覚的に言うと、どれだけその地域の方がここで学ぶとか、地域の方との相乗効果みたいなものが出ているか、地域に開かれているのかっていうことは思う。まあ開かれていると思うけど、もうちょっと地域における学習の拠点っていう部分を、2.0からやってきたと思うけど、3.0でも引き続き目指してもらいたいというのはあるかもなあ。

豊田:
バックキャスティング的に未来から考えるということと、大切な価値観や歴史を大事にして考えることって相容れないのかなとも思っていたけど、今聞いててそこを混ぜていきたいなと思った。次の「New(あたらしく生み出したいもの、新しいプログラム、システム)」って新しい要素、今あるものをベースに、例えばこの場所やこの時間で学ぶことを手放すとか、塾のスタッフが教えることを手放すとかが必要だと思ってたんだけど、今の話を聞いて、磨くとか進化させるということがもう一個キーワードなのかなと思ったな。

岩本:
なんかその、一人ひとりとか地域とともにみたいなものと、今言った教えることを手放すとか、この場で学ぶという場所の限定みたいな枠を取り払うことって、全然相反してないというか、一人ひとりの学びをというのをやろうとしたときに、今こだわっていたものを手放すみたいなことはあると思う。
なんかこう地域全体でみたいな風に考えれば、場所という制約を取っ払って学んでいくということだとか、いろんなものを手放していくイノベーションっていうのが、あるんだろうなあと思う。

豊田:
どうしても新しいものってなんなんだろうと、考えてしまう。次の新しい要素って、ひとつはテクノロジーであると期待してるんだけど、テクノロジーすら手法だから、(新しい)要素というかひとつの柱というか、それがなんなんだろうというのは自分自身にも見えてないんだよね。

岩本:
そうですね。なんなんだろうなと。まさに、これからやるビジョンづくりの中で生まれてくるんだろうなと思う。今ここで学んでる子たちの想いもそうだし、もしくはここで学ぶかもしれない中学生とかね、親や地域側の学びに対するニーズだとかがある中で何を手放して、何をつくるのか磨くのかというのが見えてくるんじゃないですかね。

豊田:そうだね。だからこそ、地域の人や、学習センターの新しい学びをつくることに関わりたいと思ってくださる方、いろんな人たちと一緒に、プロセス(作る過程)をひらいて、未来を考えていきたいなと思っている。今日はあらためて、ありがとう。

※5年後の学習センターを、地域の方や生徒ともに描き映像化するための資金を支援いただくためのクラウドファンディングを実施中です(2019年10月18日23:59まで)

こちらのページもご覧いただき、ご支援、シェア等応援よろしくお願いします!!
https://motion-gallery.net/projects/okilc_3_0

\第2回公開文体ゼミを行いました/

3連休の最後10/14(月)に、今年度のグローカルゼミの一つである文体ゼミを公開で行いました!

文体ゼミでは、「何を」書くか以上に「どのように」書くかを意識して半年間文章を書いたり読んだりしてきました。

 

今回のゼミでは、有名な建造物の写真を見て、200字以内の創作(物語・詩・短歌・俳句など)を作り、お題を知らない相手に見せて何について書いているか伝わるのか、という授業をしました。「ピラミット」を石を運ぶ奴隷の視点から書く人や、「金閣寺」をバスガイドの視点から書く人、なんと「ピサの斜塔」自身になりきる人もいて、主催者の私も驚きの連続でした!

高校の数学の先生も参加してくださったのですが、「金閣寺」に使用されている金箔の枚数の計算の仕方で「金閣寺」を想像させるというのは、文学研究をしてきた私もさすがに思いつかなかったですね(笑)同じテーマで文章を書いても、切り口(カメラワーク)や文体によって全く違う作品になることを実感した生徒もいたようです。4月から行ってきたグローカルゼミ。1・2年生を対象に8つのゼミに分かれ、それぞれ関心のあることを探究してきました。
実は来週10/21(月)の最終発表会で一区切りです。
興味のある方は、最終発表会にもぜひお越しください!

(↓facebookイベントページはこちら!)

https://www.facebook.com/events/2452304031759005/

ピザ窯奮闘記④

ピザ窯づくり第4弾。前回までの作業で、ピザ窯の土台ができました。

ピザ窯のシンボルであるドーム部分をつくり、完成を目指します。

 

ドームづくりの作業は、①ドームの入り口のアーチをつくる、②ドームの型となる土を盛る、③耐火セメントでドームをつくる、この3つを順番に行います。

アーチづくりですが、耐火レンズを4等分し、それを事前につくった木枠に乗せ、その間を耐火モルタルで埋めていく、という作業です。

↑ アーチの木枠。この上にレンガをのせる。

木枠を外してもレンガが崩れてこないように、確実にレンガとレンガをモルタルで埋めていきます。

ただ間を埋めるだけではモルタルの粒子が荒く、完全には埋まりません。ある程度モルタルを隙間に入れた後、水を上からけることで、細かい粒子が奥まで届くよう工夫をしました。

1日置き、恐る恐る木枠を外すと見事にアーチが完成しました。がしかし、アーチと焼床をつなぐモルタルがうまく接着しておらず、その部分だけ改めてモルタルを塗り接着させました。これでアーチが完成です。

 

 

続いてドームを形づける型の作成です。

焼床の上に竹や木などの軽い材で高さを作り、その上に土を乗せます。土をどう盛るかで、ドーム内の形が決まります。

ドーム内の形が空気の流れを決定づけるため、この作業がおいしいピザが焼けるかどうかを左右します。

土を盛っては遠くから形を眺め、修正をかけていきます。納得いく形にしたところで、上から新聞紙を被せ型作りの完了です。

さあ、残すはモルタルを塗る作業です。耐火モルタルを3㎝厚で均等に塗ります。

モルタルを乗せては左官ごてで伸ばし厚みを揃えます。型作りと同様に、定期的に遠目から眺め、形を整えていきます。

最終的には表面が凸凹にならないよう、水で濡らしたスポンジで均しました。

 

 

そしてついに完成しました!

土を除きドーム内をきれいにすればピザが焼けます。

 

土をきれいに洗い流しましたが、新聞紙がまだ残っています。

ドームのモルタルの水分を飛ばしつつ、この新聞紙を焼き払います。

灰をどかし、また焼床をきれいにします。これにてピザ窯をつくる過程が終了しました。

製作期間でいうと2週間ほどでしたが、初めての体験とこれまでの知識が結びつく瞬間が多々あり、ピザ窯づくりの面白さは無限大であるなと感じました。

約束の3年生決起会があと数日後に控える8月の下旬。本番前に一度試しにピザを作らねばなりません。

次回の奮闘記では、その試運転の様子、そして決起会の様子をお届けします。

ピザ窯づくり奮闘記⑤へ、つづく。

ピザ窯づくり奮闘記③

 ピザ窯づくり奮闘記第3弾。今回はピザ窯をつくる作業についてです。

 予想以上に準備に時間がかかり、テンポよく作り上げなければなりませんでした。そのため、地ならし、基礎づくり、窯の土台づくり、窯のドームづくり、と作業工程を分解し、日ごとにやることを決めていきました。 

 

―地ならしという名の、草刈りー

 ピザ窯をつくる場所を、学習センター裏の空き地に決定しました。ただそこは、軽い傾斜があり、夏は雑草が生い茂る場所。基礎を築くための地ならしで発生する作業は、①草を刈る、②傾斜を削り水平な地面をつくる、と大きく分けられます。

 まずは草刈り。町内の友人から草刈り機をお借りし、空き地で猛威を振るう雑草を倒していきます。

 

 刈り終えた草を一ヶ所に集め、表層の砂利をどかします。その後スコップを使って傾斜を削り、目分量で水平にしていきました。この作業、草の量が相当あり、地面が砂利であることも相まって神経を使う作業で、草刈りが地ならしの労力のほとんどを占めています。ただこの草刈り、ピザ窯をつくる上で必要な作業である以前に、学習センターの敷地を管理・維持するために必要な作業であったため、結果的に塾のスタッフから感謝されることに。ピザ窯の維持のためにも、塾の管理・維持のためにも、これからは定期的に草刈りしようと思ったのでした。

 

 

 ー正解が分からない、基礎づくりー

 ある程度均した土地にピザ窯を建てる寸法を記し、そこを10㎝ほど掘ります。

 この穴に砂利を敷き詰め、その上に水気の少ないモルタルを流し込みます。基礎というだけあって、この作業が上にできるピザ窯の運命を左右するだけあって、失敗ができません。参考にしている本や、インターネットから情報をかき集め、導き出したやり方なので、おそらく問題はないのですが、ほんとうにこのモルタルが固まって基礎になるのか、疑心暗鬼になりながらの作業でした。どのくらいの水の分量で、どのくらいの量のモルタルを流し込めばいいのか、正解が分からないことが不安な気持ちを誘発しています。結果から申し上げると、何の問題もなく翌日には固まっていました。全くあの心配は何だったのかと思い返せば笑えてきます。同時に、セメントと砂と水を混ぜただけのモルタルがカチカチに固まる、この化学反応が不思議で、とても興味深いものでもありました。

 

 -初の左官作業、ピザ窯土台づくりー

 基礎が完成したので、いよいよ窯づくりです。あまマーレさんから頂いた巨大なU字溝を薪を燃やす窯として活用します。

 大人6人がかりで持ち上げ、それを上下に重ねます。持ち上げる隙に、すかさずモルタルをコテで塗り接着させます。接着させたら忘れず水平をとり、狂いのない土台をつくりました。

 必死の思いで重ねた土台。このU字溝の脇をコンクリートブロックで固め、土台の強度とピザを焼くドームの面積を確保します。ブロックも重ねる一つ一つにモルタルを塗っていき、U字溝の上端と同じ高さにくるまで積み重ねました。

 これらU字溝とコンクリートブロックの上に、焼き台となる耐火レンガを重ねます。モルタルを塗り、レンガを重ねては水平を取る作業を繰り返します。

 これでようやく土台の完成です。あとはドームをつくる作業です。全体の進捗度で表すと70%が完了した状態です。なんとか予定期間内に終わる道筋が見えてきました。

 

 

続きのドームづくりは次回の奮闘記でご紹介します。実際につくる作業は、汗を流し力を使う作業ではあるものの、今までの持っている知識を使いながら、新たな興味や発見が生まれる、とてもクリエイティブで頭を使う時間でありました。「やるからには美しく完璧に」。職人魂ではありませんが、どことなくそんな感情が湧き出してきました。ピザ窯への愛情かもしれません。

 ピザ窯づくり奮闘記④へ、つづく。

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