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2015年12月の記事

「初めての人のためのプログラミング講座」開催!(秋元)

こんにちは。
隠岐國学習センターの秋元です。

去る12月15日火曜日の夜、
隠岐國学習センターでは初の試みとなる
「初めての人のためのプログラミング講座」を開催しました。

講師は前職がIT企業のエンジニアである秋元と、

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今年西ノ島に移住されたフリーエンジニアの小山さん。

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今回は高校1,2年生、学習センタースタッフ、
それに地域の方を合わせて13名が参加。
当日都合が合わなかった生徒もおり、
実はプログラミングに関心のある生徒が
一定数いたとわかっただけでも収穫でした。

ちなみに、使用した言語は「Processing(プロセシング)」。
美術系大学の初学者向け講義にも用いられるもので、
数行のコードで図形を描画したり動かしたりできる優れものです。

Processingの作品サンプルはこちら

前半は基礎的な内容の理解を主とし、
講座はPCに不慣れな生徒にも配慮して
開発環境の起動からみんなで足並みをそろえて進めていきます。

普段の学習での「学び合い」の姿勢が定着しているのか、
隣同士わからないところを教えあい、相談しながら、
時には講師の助言も仰ぎながら徐々に課題をクリアしていました。

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実際に自分が書いたコードが動く様子を見て、
自力でどんどん進んでいく生徒もちらほら。
熱中している様子が伝わり、企画者としては感無量です。

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思いがけず大人ものめり込んでいる様子。

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後半は各参加者が自分で課題を設定し、自分なりに試行錯誤をする時間。
図形の大きさや位置を調整しておでんの形をつくってみたり、
初心者には高度なゲーム作りに果敢に挑戦したり、
計2時間半という限られた枠で各々自由に取り組んでいました。
以下、参加した生徒の感想を一部抜粋します。

・初めての体験。数学で習うsinなどを使うことを知れて勉強も頑張ろうと思った。自分でもできることに感激した。

・講座の内容は、すごく面白くて分かりやすかったけど時間が少なかった。

・初心者にはキツかったです。関数の意味とかも教えて欲しかったです。

プログラミングの楽しさを知ってもらいたい。
そんな気持ちから小山さんと企画してきましたが、
ひとまずいい感触を得られたようで安心しております。

今後も学習センターに通う生徒はもちろんのこと、
地域の方にとっても「学びの場」であるために、
多くの機会をつくっていけたらと思っています。

次回のプログラミング講座は1月中旬開催で検討中です。
大人もきっと楽しめる内容ですので、
その際はFacebook等で告知いたしますので、
みなさまぜひご参加ください!

 

秋元

 

コカ・コーラ【可口可楽】

みなさん

学んでますか。

大人は仕事をします。

みなさんは学んでください。

学んでください,というのは

お願いしているわけではありません。

オススメしているのです。

学ぶとよいことがあるよ,と

オススメしているのです。

いままで僕の人生で

学んで無駄になったことはありません。

ひとつとしてありません。

言い換えると将来無駄にならないことを

ひとは「学び」と呼ぶのかもしれません。

そう考えると音楽を聴くのも

きっと「学び」なのでしょう。

テレビを見るのも「学び」なのでしょう。

無駄にならなければ。

そこから何かを得ることができるのならば

それらはすべて学びなのです。

大人になると,すべてが学びと思うのです。

では逆に「無駄だったこと」とはなんだろう

と考えてみました。

机の穴に消しゴムのかすをつめていたこと。

無駄でした。

1回目はまだ何かしら発見があったかもしれません。

2回目以降は…無駄でした。

そんな気がします。

しかもその間に授業は完全に聞き逃しているのです。

みなさん

授業中に机の穴に消しゴムのかすをつめるのはやめましょう。

できるだけやめましょう。

それが将来の人生に無駄にならない,というひとは続けてもよいと思います。

継続は力なり

とも言いますし。

ひょっとすると「机の穴に消しゴムを誰が一番はやくつめることができるか」ワールドカップが開催されるとも限りません。

開催されなければ自分で開催すればよいでしょう。

そして自分で「世界一」と認定してもよいかもしれません。

僕は中学生のとき自分のことを

「鼻をかんだティッシュペーパーをゴミ箱に投げ入れるのが世界一うまい人」

と認定していた時期があります。

ところで僕の学校では

ごみばこ を 護美箱 と書いていました。

美しさを護る(まもる)と書いて ごみばこ。

当て字です。

当て字ですが,上手です。

なぜなら 音 も 意味 も通用するからです。

良人。

おっと と読みます。

良い人(よいひと),と書いて おっと と読む。

これは 意味 の当て字です。

足袋。

たび と読みます。

足の袋 と書いて たび と読む。

これも 意味 の当て字です。

独逸。

どいつ と読みます。

独(どく)に逸(いつ)と書いて どいつ と読む。

これは 音 の当て字です。

阿蘭陀。

おらんだ と読みます。

阿を「お」と読み,蘭(らん)に陀(だ)と書いて

おらんだ と読む。

これも 音 の当て字です。

場穴。

ばけつ と読みます。

これも 音 の当て字です。

多くの当て字は 音 か 意味 の

どちらかしかあてはまりません。しかし

護美箱(ごみばこ)。

とても上手だと思います。

音 も 意味 も通じるのです。

音 → ゴミバコ。

意味 → 美しさを護る箱。

どちらも通じるのです。

可口可楽。

コカコーラ と読みます。

中国では漢字しか使われません。

したがって コカコーラ は 可口可楽 と書くのです。

可口 は 口あたりがよい,美味しい という意味

可楽 は 面白い,楽しい という意味

そして 音 は コカコーラ。

音 も 意味 も合っています。

とても上手な当て字です。

というか中国のひとにとっては

当て字 ではなく 訳 というほうがよいかもしれません。

中国のひとは訳しているのです,漢字に。

とてもとても上手な訳です。

場穴(ばけつ)の英語は bucket です。

場穴 は上手な訳ですか。

なんとなく近い気はします。

でも 可口可楽 ほど上手でしょうか。

ちなみに 場穴 という当て字は

夏目漱石がよく使っています。

映画を見ていても上手な訳はあります。

An act of God. という英文に

それはできません という訳がついていました。

An act of God. は,そのまま訳すと

「神の所業です」という感じです,きっと。

神の所業

神にしかできない

つまり私にはできない

できません。という訳になったのだと思います。

もとの英語とはまったく異なるものになっています。

翻訳家と呼ばれるひとたちは

脚本家のセンスも持っているのですね。

英語だけできればよい,というものでもなさそうです。

感性を研ぎ澄ますために

日本語の物語もたくさん読むのでしょう。

そうでなくては上手な訳はできません。

Whose bucket is this?

−このバケツ(場穴),ドイツんだ(独逸んだ)。

It’s mine.

−おらんだ(阿蘭陀)。

みなさん

日本語の物語も読みましょう。

そうでなくては上手な訳はできません。

むじゅん【矛盾】

みなさん

学んでますか。

大人は仕事をします。

みなさんは学んでください。

先日,ターナーの絵を見ました。

イギリスの風景画です。

イギリスの空と海の絵です。

海は荒れています。

空は曇っています。

イギリスの曇天(どんてん)が描かれていました。

僕はイギリスの曇天が好きです。

イギリスは曇りが多いのです。

白黒はっきりしない天気が多いのです。

白黒はっきりしない天気が僕は好きです。

晴れたり雨が降ったり,曇ったり。

アンニュイな感じが好きです。

アンニュイとは 退屈 という意味です。

アンニュイ が好き,ということは

退屈が好き,ということになります。

好きなら退屈してないようにも思います。

矛盾しているように思えます。

矛盾,

難しい言葉です。

矛盾とは 論理のつじつまがあわない ことです。

どんな盾(たて)もつらぬく矛(ほこ)

どんな矛(ほこ)の攻撃も防ぐ盾(たて)

を売っているひとがいました。

どんな盾もつらぬく矛 と どんな矛も防ぐ盾

そのふたつをぶつけたらどうなるのか。

話のつじつまがあいません。

盾が防げば

どんな盾もつらぬく矛 が嘘になります。

矛がつらぬけば

どんな矛も防ぐ盾 が嘘になります。

話のつじつまがあいません。

これを 矛盾 というのです。

アンニュイな感じが好き

は矛盾です。

しかしこれは嘘ではないのです。

矛盾しているかもしれませんが

嘘ではないのです。

難しい感覚です。

人間は矛盾をかかえているものかもしれません。

好きなのに,嫌いと言ったり,

嬉しいのに,すねてみたり。

白黒はっきりしてほしいものです。

しかしそうもいかないみたいです。

人間は矛盾をかかえているのです。

閑話休題。

ターナーのかく曇天は

絵の具をキャンバスにかきなぐった感じです。

適当にかいているようにも見えます。

しかしそんなことはないのです。

本当は緻密に計算された構図と

ターナーの天賦の感性によって完成された絵です。

それは目の当たりにしないとわかりません。

本物は本当に見に行くとよいのです。

そこから感じるものは,どんなに言葉をつくしても

説明ができないものなのかもしれません。

実際に絵をかいてみるのもいいと思います。

するとターナーの偉大さがわかります。

ターナーと自分の位置の差がわかるのです。

ゴールを設定するのはよいことです。

自分の位置との差がよくわかります。

差がわかるからゴールまでの計画ができるのです。

ゴールなしで前へ進むのは難しいことです。

みなさん,ゴールを設定しましょう。

そして計画をたてましょう。

ゴールに着くように計画をたてましょう。

ゴールに着くのは最短距離でなくてもよいと思います。

ゴールまで最短で行く必要はありません。

ぐるぐる巡って到達するのもよいものです。

急がば回れ

とも言いますし。

むかし急いで回ったのは琵琶湖です。

琵琶湖には渡し船がありました。

向こう岸に渡る船です。

ところが天気が悪いとむしろ遅く着くのです。

早く向こう岸に着くには

歩いて回ったほうがよいのです。

だから急がば回れ,というのです。

急いでいるときこそ遠回り

これは矛盾していません。

琵琶湖は 琵琶 にカタチが似ています。

だから 琵琶湖 と名づけられました。

琵琶 と言えば 琵琶法師。

琵琶法師 が,たくさんいるとは

最近まで知りませんでした。

国語の授業を見学して知りました。

琵琶法師とは平家物語を伝えたひとです。

よく考えたら当たり前のことです。

インターネットもテレビもラジオもない時代。

通信が発達していない鎌倉時代。

ひとりで広められるわけありません。

しかし,なんとなく 琵琶法師 を

固有名詞と思い込んでいました。

よく考えてみたら当たり前のことです。

ひとりなわけありません。

たくさんの琵琶法師が伝えたのです。

赤い旗の平氏と白い旗の源氏の戦いを

たくさんの琵琶法師が伝えたのです。

琵琶を弾きながら語ったのです。

平家物語を歌ったのです。

ですから広く知れわたりました。

運動会や大晦日の歌番組で

いまでも赤白対抗しているのは

源平合戦のなごりです。

赤い旗の平氏と白い旗の源氏のなごりです。

赤白対抗するのは源平合戦です。

白黒対抗するのはオセロです。

オセロは日本人がつくったゲームです。

長谷川五郎氏がつくったゲームです。

牛乳瓶の蓋で試作版をつくったゲームです。

ですからオセロのコマは牛乳瓶の蓋と

ほとんど同じ大きさです。

ちなみにオセロと名づけたのは

長谷川五郎のお父さんです。

長谷川四郎という方です。

英文学者だったのでオセロと名づけたそうです。

オセロの話になったので

白黒話でまとめたいところです。

白黒はっきりしない曇天の話が

どうも前フリのようですし。

いろいろ遠回りして,やっと白黒話にたどり着きました。

ぐるぐる回ってたどり着きました。

急がば回れともいいますし。

しかし白黒話でどうにもまとまりがつきません。

回ったわりにはまとまりません。

ですから白黒話で終わるのをやめておきます。

どんてん返し,もとい どんでん返し。

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